過ごしやすい気候(朝晩は肌寒い!?)になり、コロナも下火になって、いよいよ秋本番!「読書の秋」ということでマツモトは『鋼の錬金術師』(はい、漫画デス)を読み返したところです。
で、12巻の表紙の見返しにこんな文章がありました。
「『事実は小説より奇なり』と昔の人が言ったとおり、ドキュメント番組など観ているとだばだば泣いてしまって『やっぱ作り話(フィクション)はかなわねぇなぁ』と思う。そんな事を先輩のマンガ家さんに話したら『作り話(フィクション)だからこそ、本来なら救いの無い話にも救いを作ってあげられるんだよ』とおっしゃった。なんだか、マンガ魂が引き締まる思いがした。」(荒川弘 『鋼の錬金術師』12 スクウェア・エニックス より)
あぁ、漫画家さんってスゴい!と感じ入りました。荒川弘さんの新刊コミックスが待ち遠しい…。
で、ふと思ったんです。フィクションで救いを創れるのが漫画の力だとすると、私達には「人生脚本」があるじゃないの、事実を変えることはできなくても、その捉え方を変えることは自分でいくらでもできるでないの、と。
交流分析では、私達は、自分が書いた脚本に知らずしらず従って生きている、と考えます。
生まれると同時にさまざまな体験をし、周囲の大人や環境からいろんな影響を受けて、私達は早い内から「自分の人生ってこんな風だ」というものをおぼろげながら固めていきます。そしてそれを「ほら、やっぱりこんな風だ」と確かめては強めていくのです。
するとどうなるか。
起こる事実は変わりなくとも、それをどう捉え意味づけるかが、脚本によって大きく変わってくるのです。
例えば「事故で車はグシャグシャ自分は足を骨折した」が事実、大前提が「自分は幸運な人間だ」と「自分は運が無い人間だ」だとします。
前者は「車があんなになったのに、これくらいの怪我で済んだ。運が良かった〜」と思うかもしれない。後者は「車はグシャグシャ、自分は大怪我。なんて運が悪い」と悔やむかもしれない。
事実は変わらないのに、これだけ違ってくる可能性があるのです。
そして!人生脚本のすごい所は「書き直すことができる」こと!
「『事実は小説より奇なり』と昔の人が言ったとおり、ドキュメント番組など観ているとだばだば泣いてしまって『やっぱ作り話(フィクション)はかなわねぇなぁ』と思う。そんな事を先輩のマンガ家さんに話したら『作り話(フィクション)だからこそ、本来なら救いの無い話にも救いを作ってあげられるんだよ』とおっしゃった。なんだか、マンガ魂が引き締まる思いがした。」(荒川弘 『鋼の錬金術師』12 スクウェア・エニックス より)
あぁ、漫画家さんってスゴい!と感じ入りました。荒川弘さんの新刊コミックスが待ち遠しい…。
で、ふと思ったんです。フィクションで救いを創れるのが漫画の力だとすると、私達には「人生脚本」があるじゃないの、事実を変えることはできなくても、その捉え方を変えることは自分でいくらでもできるでないの、と。
交流分析では、私達は、自分が書いた脚本に知らずしらず従って生きている、と考えます。
生まれると同時にさまざまな体験をし、周囲の大人や環境からいろんな影響を受けて、私達は早い内から「自分の人生ってこんな風だ」というものをおぼろげながら固めていきます。そしてそれを「ほら、やっぱりこんな風だ」と確かめては強めていくのです。
するとどうなるか。
起こる事実は変わりなくとも、それをどう捉え意味づけるかが、脚本によって大きく変わってくるのです。
例えば「事故で車はグシャグシャ自分は足を骨折した」が事実、大前提が「自分は幸運な人間だ」と「自分は運が無い人間だ」だとします。
前者は「車があんなになったのに、これくらいの怪我で済んだ。運が良かった〜」と思うかもしれない。後者は「車はグシャグシャ、自分は大怪我。なんて運が悪い」と悔やむかもしれない。
事実は変わらないのに、これだけ違ってくる可能性があるのです。
そして!人生脚本のすごい所は「書き直すことができる」こと!
交流分析のいくつものテーマがより合わさってできている人生脚本。どうやって書かれていて、どうしたら書き直せるのかは、また次の機会に。
ホントにざっくりではありますが、今月は交流分析の人生脚本のお話でした。
ホントにざっくりではありますが、今月は交流分析の人生脚本のお話でした。
寒暖差の大きな今秋。どうぞお身体の疲れを癒やしつつ、秋を満喫なさってください。
(文責 松本まゆみ)
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